成蹊大学理工学部物質生命理工学科
Department of Material and Life Science, Seikei University
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、フィリップ・K・ディック著、早川文庫 アンドロイドが人と区別できない程の存在になったら、そのアンドロイドをただの道具と思えるのでしょうか?私たちは生きていないことを知っている人形に対してすら愛情を持つことがあります。まして、生きていると錯覚する程の人形だったら・・・そもそも生きているとはどういうことなのでしょう。 チューリング・テストによれば、人間の判定者が、人工知能と人間と会話をして、人工知能と人間の区別ができなければ、その人工知能は本物の知能があると考えて良い、とされています。本物の知能があるということは、人間のような感情や理性をもつ存在、つまり生きている存在と考えて良いかもしれません。では、生きている人工知能-アンドロイド-を問答無用で抹殺する権利が人間にあるのでしょうか?・・・そんなことも問いかけてくる物語です。 汚染された未来の地球で、人間たちは本物の羊を飼うことを夢見ます。その世界で、それはかなり贅沢な夢で、多くの人は電気羊を本物の羊の代用として飼っています。では、人間と区別がつかないほど精巧なアンドロイドは電気羊を飼うことを夢見るのでしょうか?それとも彼らも本物の羊が飼いたいのでしょうか? 物語は、火星から脱走して地球に潜むアンドロイドたちを追うところから始まります。彼らは脱走に際して人間を殺害しているので、彼らの捕獲はすなわち彼らを抹殺することを意味します。ただし、彼らは特殊な検査をしない限り人間とほとんど区別がつきません。相手に疑い抱かせずに、さりげない会話や行動の観察から彼らがアンドロイドかどうかを見極めなければなりません。暴力的な展開もありますが、意識や生命の問題を考えさせる優れたSF(科学空想)小説です。 2009年7月7日 |