成蹊大学理工学部物質生命理工学科
Department of Material and Life Science, Seikei University
エルヴィン・シュレディンガー著、「生命とは何か」、岩波文庫 私が担当する講義「生物物理学」の教科書にこの本を採用しています。生物物理学は、生物・生命を物理・化学的に研究する分野全般を含みます。学部の学生が学ぶ「生物物理学」としては、幅広い分野を網羅するのは時間的にも内容的にも困難です。また、生物物理学の中の一部の分野だけを取り上げるのも、幅広く表層的に学んでもらうのも、私としてはあまり気が進みません。そこで、まずは古典から入ってもらうことにし、この本を教科書に選んだのです。 この本の影響は現代でも大きく、例えば、理系の本としてはめずらしくベストセラー入りしたとして話題になった福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」でも、根底にはシュレディンガーの「生命とは何か」があります。最新の生物物理学を理解するためにも、まず古典的名著を通じて歴史的な流れを知ってほしいと思います。 シュレディンガーは、量子力学の誕生に寄与した物理学者の一人であり、「生命とは何か」は量子力学、熱力学などのおもに物理学分野の視点にたって、かなり大胆に生命現象と生物の仕組みを考察した本です。この本の最後では、意識にかかわる問題まで触れています。この本が書かれた20世紀半ばにはまだ明らか何なっていなかった点や、現代ではあまり注目されていない考え方なども出てきますが、そうした点を差し引いても現代でも学ぶべき点の多い本です。 内容の一部を紹介しましょう。この本で最も有名なのは、「生物は負のエントロピーを食べて生きている」に関する部分でしょう。エントロピーは無秩序さや均一性を表す物理量で、熱力学の第二法則とかかわりが深いことが知られています。熱力学第二法則はいろいろな表現ができる法則で、たとえば、熱は自然に低い方から高い方へ流れることは無い、というように説明することができます。また、不可逆過程ではエントロピーは増大する、という表現もできます。生物の観点に立つと、ある生物一個体という系の中で、エントロピーは増大し続けることになりますが、エントロピーが増大しきると、その生物は死にいたります。生物は死を避けることはできませんが、自身の中のエントロピーの増大を抑えることによって死への到達を遅らせている、つまり生きているということができます。私たちが食事する意味は、単にエネルギーを補給するだけではなく、身体の部品を新たに摂取した材料と取り替え、古いものを排出するという物質の循環の中で、自身のエントロピーの増加を低く抑えて秩序を保つことでもあると言えるかも知れません。こうした考え方は、後にプリゴジンらが提唱する散逸構造とも繋がるものです。 補足:2008年に「生命とは何か」は岩波文庫から新たに出版されましたが、それ以前は岩波新書に入っていました。2006年くらいから岩波新書版の入手が難しくなり、しばらく絶版状態になっていましたが、文庫から出版されるようになって、より低価格で読みやすい本となりました。 2009年7月6日 |